Acoustic Guitar World Vol.77 土門秀明インタビュー。

インタビュー関係

えー、本日発行されましたが、EPUBファイルが読めないという方もいらっしゃいましたので、こちらにインタビューの部分だけ抜粋して掲載しておきます。

EPUBファイルは下記からダウンロードできます。
http://www.aco-world.com/acoworld/

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ギタリストインタビュー〜土門秀明

バブルガムブラザースのギタリストとしてキャリアをスタートさせ、10年間ロンドンの地下鉄でのバスキングを続けてきた異色の経歴のギタリスト土門秀明さんに、ギタリストとなった経緯やロンドンでの状況、現在の活動など幅広くお話いただきました。

-ギターを始めたきっかけを教えてもらえますか。

土門秀明(以下、土門):中学生の頃、バンドやフォークが流行ってました。当時はラジオをよく聞いてましたが、大体ベスト3がベイ・シティ・ローラーズ、クイーン、キッスでした。その中でもベイ・シティ・ローラーズの曲がすごくポップなギターサウンドで好きでしたね。音楽雑誌、ラジオ、テレビでもベイ・シティ・ローラーズ一色だったので、自然に入ってきて、タータンチェックにストラト、レスポールが格好いいなと思いました。でも親戚からもらったクラシックギターをしばらく弾いていて、その後に松山千春が好きになり、フォークギターを買ってもらいました。

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-弾き語りを始めたのでしょうか。

土門:そうですね。まだソロギターというものは知りません。弾き語りだけでもなく、アコギにマイクをつけてバンドをやってみたりもしましたね。高校生の時にエレキギターを始めたのですが、矢沢永吉が好きな人がいて、ライブアルバムなどを聴かせてもらいました。この時のバックバンドに、後にモニカなどを作曲するNOBODYのギタリストがいました。この人達のギタープレイが僕の琴線に触れて影響を受けましたね。後楽園ライブや武道館ライブなどをよく聴いてコピーしてました。

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-軽音楽部などに入っていたのでしょうか。

土門:いいえ、当時はそういった部はなかったですね。僕は中学の時は卓球部、高校ではバレー部でした。

-バレーは指を痛めそうですね(笑)。

土門:そういえばそうですね(笑)。当時は何かしら部に入らなければいけなかったです。バレーもやってたし、バンドもやっていました。

ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)の地方決勝と、バレーのインターハイの試合がかぶってしまった時がありましたよ。やはりバレーを優先して試合に出ましたが、バンドのメンバーが呼びに来て、ポプコンの決勝だからいないと困る、ということで試合の途中で選手交代して、ユニホームのまま自転車で会場に向かいました。なので、ポプコンのステージ衣装はバレーのユニホームです(笑)。それでもポプコンは優勝しましたよ。

高校生の時にはプロギタリストになるんだろうなと何となく思ってました。でも山形の田舎でそういうことは通じません。高校を卒業したら東京に出てプロになる、ということは先生には言えなかったですね。なので、東京のPAの専門学校に入りたいと言ったんです。東京写真専門学校というのがあって、そこの音響芸術科でテレビ、ラジオ番組作りをしたいと言いました。

-専門学校に行かれたのでしょうか。

土門:はい、レコーディングなどの勉強をしたのですが、30年後の今になって役に立ってますね(笑)。当時プレイヤーという雑誌のメンバー募集で見つけたいくつかのバンドに入って、いろいろな所でライブをしていました。

その中のバンドで、ライブの時にプロのサックス、トランペットのプレイヤーの方が来ていたんです。その二人はバブルガムブラザースのバンドの人たちでした。当時のバブルガムブラザースはヒット曲「Won’t be Long」をリリースする前で、それほど知名度が高かった訳ではないのですが、景気の良い時代だったのでライブも多く、仕事が多かったんですね。僕はビデオ屋でバイトをしていたのですが、その二人から楽器のセッティングや荷物、衣装運びなどをするスタッフ、いわゆるローディーにならないかと誘われました。バブルガムブラザース自体もあまり知らなかったのですが、いろいろ勉強になりそうだと思いスタッフになりました。2,3年続けましたが、この間はとても忙しくてバンドはできませんでした。毎日ライブ、レコーディング、テレビ出演などがありましたからね。

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-ローディーからどのようにギタリストとなったのでしょうか。

土門:バブルガムブラザースのバンドにはギタリストが二人いて、この二人のギタープレイを研究しました。一人がブルース系で、もう一人がスタジオミュージシャン系でした。このスタジオミュージシャン系のギタリストが自分のバンドがデビューするということで、バブルガムブラザースのバンドをやめることになったんです。そこで一人ギタリストが必要になるのですが、ローディーがギタリストになるということは、他から来るよりも難しいものです。それで、マネジャーの知り合いのプロギタリストが新しく加入する事になりました。

しかし、バブルガムブラザースの音楽は、基本ブラックミュージックなんですね。当時ブラックミュージックというのはそれほど主流ではありませんでした。久保田利伸や米米クラブなどが既にいましたが、この人たちの音楽を良いと思っても、そのルーツまではあまり知られていませんでしたね。僕も知らなかったですから。新しいギタリストの方は、とても上手なのですが、ブラックミュージックのノリというのを、今ひとつ知らないようでした。独特なカッティングやファンキーさとかですね。

僕はローディーなので、自分にやらせろとは言いにくい立場ではあったのですが、2年くらいローディーとしてバブルガムブラザースの音楽を聴いていたし、ギタリストの師匠たちのプレイも毎日見てたので、だいぶ弾けるようになってたんです。門前の小僧ってやつですね。それでブラザー・コーンさんに、僕もあれくらい弾けると思うのでオーディションしてくださいと言ったんです。コーンさんは、日頃僕がギターを練習しているのを知ってたので、親心的なものもあったと思います。次の日のリハーサルで弾いてみろと言われました。ただ、自分で機材はもっていなかったので、師匠のアンプやエフェクターなどを借りてやりました。すると「明日からお前が弾けよ」と言われました(笑)。

機材がないことを言うと、すぐ事務所に連絡して必要なものを全て買ってくれて、いきなり翌日からテレビの生本番や、数万人規模の野外会場などで弾くことになりましたよ。

この後も、ローディーの仕事もしばらく同時にやっていました。現場に着くとドラムなど全てセッティングして、リハーサルの時は僕も演奏し、着替えて本番で演奏をします。演奏が終わるとまた着替えて、全部片付けをするんです。こういう生活を2年くらいやってましたね。

華々しくバブルガムブラザースのバンドで演奏をしてはいましたが、同時に自分のバンドをやりたいと思ってました。BOØWYとかMr.Childrenのような感じですかね。プロフェッショナルなバックバンドの仕事も素晴らしいと思っていますが、自分のオリジナルをやるようなバンドもやりたいと思ってたんです。それでバブルガムブラザースのバンドは30才くらいの時にやめました。

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やめてからはいろいろな仕事をしましたね。電話工事や何でも屋とか、最後は広告代理店にいました。ここではかなり偉くなっちゃってましたね(笑)。

仕事をしながらバンドもしていたのですが、そこそこ収入もよくなり、このまま結婚して子供を育てて、という普通の暮らしもいいのかなと思いました。ただ、最後の広告代理店では僕は厳しい上司という感じで、クビにした社員が土門は会社の金を横領して銀座で豪遊している、といった怪文書を出したんです。それを社長が見て、そんなことないよね、とか聞いてきましたが、もちろんそんなことはありません。結局、いろいろと面倒くさくなり依願退職しました。その後、この時付き合っていた女性にもふられ、精神がだいぶやられてしまいました。また音楽をやるしかないなと思いましたね。

この時35才くらいでしたが、日本ではなく一か八かイギリスへ行ってみようかと思ったんです。ビートルズが好きというのもありましたが、本心は日本を逃げ出したかったんですね。

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-イギリスでどのように活動しようとかは考えていたのでしょうか。

土門:最初に一人で短期間ロンドンに行って、どのようにすればよいか考えました。日本人では、日本の音楽を日本の楽器で演奏する人たちが仕事をしているようでした。尺八や和太鼓、民謡などですね。そこで後輩の演歌歌手がいるのですが、彼に話をしたらちょうど仕事をやめたところだということで、一緒に演歌ロックをやろうとなりました。まずは二人で着物を着て、演歌を英語で歌ったら面白いと思い、「天晴(あっぱれ)」という名前で活動しました。

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-その時はどのような活動だったのでしょうか。

土門:日本のフェスティバルが結構あるんです。日本人のコミュニティもあるので、そこで日本語でやったり、広場で演奏したりしました。アルバムも1枚作りましたね。

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この活動をしているうちに、ロンドンの地下鉄で公式なバスキングが始まるという情報があったんです。それで二人ともオーディションを受けることになりました。私はビートルズの「イエスタデイ」を「ソロギターのしらべ」を見て覚えて、オーディションに向かいました。僕らは別々に申し込みをしていたのですが、英語がうまく話せないので、結局一緒に「与作」をやりました(笑)。おそらく、僕がビートルズをやるよりは日本の曲をやった方がよかったみたいなんです。それで、2週間後くらいに合格通知が来ました。

-二人でバスキングを始めたのでしょうか。

土門:バスキングはあくまで仕事なんですね。二人だとスケジュールを合わせるのも面倒だし、収入も分けなければいけない。二人でやっても一人でやっても収入はほとんど変わらないんです。広場では派手な大道芸もあって人だかりになりますが、地下鉄では人は足を止めません。聴いているのは3秒から10秒くらいですね。ロンドンの地下鉄のバスカーはほとんどが一人で演奏しています。

-どのようにお金を得るのでしょう。

土門:2週間前に電話で予約します。先着順でチケット取りと同じような感じですね。2時間枠で、各駅2、3箇所小さな演奏スペースがあり、ギターケースを前に置いて演奏をします。そのケースにお金を入れてもらいます。

-あまり立ち止まらないとお金を入れてくれない気もします。

土門:ここが日本人と感覚が違っていて、シェアしようという気持ちが強いんです。それとミュージシャンに対する尊敬の念があります。なので、道ばたで演奏をしていても結構皆さんお金を入れてくれますよ。美しい音楽を演奏してくれてありがとう、という気持ちで。

日本人の感覚でこれに一番近いのはお賽銭かもしれません。これで自分に何かいいことがあればいいなという感じです。バスキングではチューニングしてるだけでもお金が入る時もあるし、下手でも一生懸命であればお金が入ります。ここで10年以上やりましたが、お金がゼロということはありませんでした。

-10年くらいバスキングをしていたということですが、この間バスキング以外の活動もあったのでしょうか。

土門:バスキングではいろいろな人と知り合います。駅で知り合ったスペインの女性とレコーディングやライブをしましたね。でも僕はバスキングの方が好きで、自分のペースでできるしプレッシャーも無いので、バスキングは天職だと思いました。

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選曲も自由だし立ち止まらないので、同じ曲を繰り返し弾いていてもいいんです。「ティアーズ・イン・ヘブン」「イエスタデイ」「ボヘミアン・ラプソディー」をヘビーローテーションしてましたね。それでは飽きるだろうと言われるかもしれませんが、これでお金が入るなら飽きません(笑)。バスキングというのは仕事なんですね。他の仕事だって同じことの繰り返しというのが多いじゃないですか。

それでも新しい曲を練習したり、オリジナルもやってみたりと自由にやってました。永住権が取れたらずっとやっていたいと思ってましたし、最期は、バスキングの途中で死んでも本望とさえ思いましたよ(笑)。

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-バスキングはどのくらいのペースでされていたのでしょうか。

土門:やれる場所のよし悪しにもよります。先着順で一週間分のスケジュールが決まります。いい場所が取れればいいのですが、1000人くらい登録してるので電話が全くつながらないこともあります。そういう時はレコーディングをしたり、人気が無く空いている場所で動画を撮ったりしていました。人気のある場所では動画を撮る余裕がありません。カメラが盗られないように気を使うし、知らない曲ではお金も入らないし。儲かる場所ではひたすら人気のある曲で演奏を続け、儲からない場所では撮影や録音をするといった感じですかね。バスキング中に録音し、「Live in Tube」というアルバムも作りましたよ。

Live in Tube
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-バスキングでは変わったことなどありましたか。

土門:たくさんありましたよ。なので本を出したんです。

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この頃はロンドン地下鉄同時爆破テロもあったし、お金を盗まれることもあったし、たくさんの面白い人達との出会いがありました。この本にいろいろと書いてあります。

-2012年に帰国されています。ロンドンでのバスキングをとても気に入っていたようですが、どういった経緯で帰国したのでしょうか。

土門:今思えば、自然の流れでしょうか。体調が悪かったり、ビザの延長もしにくくなりましたね。最後は観光ビザで行ったり来たりしましたが、空港で止められてチェックされました。ここで入れたら永住権を申請しようと思ってたんです。破棄しようと思っていた帰りのチケットを持っていたのですが、帰りのチケットの日までのビザしか下りませんでした。

できることなら永住権を取りたかったのですが、体調もかなり悪くなっていたので帰国を決意しました。胃がん疑惑もありましたね。それで日本に帰ったら鬱病になってしまったんです。1年くらい廃人のようでしたね。長らくベッドから出れず、ギターも弾けませんでした。医者からも、もうダメかもしれんね、というような事を言われました。

-そんな状況から、どのようにまたギターを弾くことになったのしょうか。

土門:子供の頃から面倒を見てくれた叔母が入院していて、4ヶ月くらい意識が無い状態でした。僕は体力が落ちてお見舞いにもいけません。それでもその病院の近くに行く用事ができたんです。叔母は僕がロンドンに行ってる時から僕に会いたい、ギターを聴きたいと言ってたらしいんです。それで、僕も少し歩けるようになったので行ってみようと思いました。

病院ではホールや面会所でギターを弾くのは多分大丈夫なんですが、病室は許可がおりにくいんです。それでギターを隠して持ち込みました。そして静かに「Amazing Grace」を弾きました。この時、病室にいた親戚の方が動画を撮っていてくれました。

その時、叔母が少しだけ動いたんですね。その日はそれで帰ったのですが、翌朝、叔母の妹さんから連絡があり、朝亡くなったと聞きました。約4ヶ月頑張ってましたが、僕のギターを聴いた翌日に亡くなったんです。おそらく秀明のギターも聴けたし、もう思い残すことはないと旅立たれたのではないかと言われました。

この時から、僕の体調が回復していきます。少しずつギターの練習も始めました。そんな時、東京ハンドクラフトギターフェスティバルでの演奏依頼が来ました。しかし、まだ人前で弾ける状態ではなかったので断ったんです。イベントは5月だったのですが、3月になってもまだ出演者が決まらないから出て欲しいと再度要請がありました。一度断ったのにまた依頼が来たというのだから、これも運命か、神様がやれと言っているのではないかと思い引き受けました。それから必死に練習しましたね。当日は40分くらいの演奏だったと思います。なんとか凌いで、ここからまた演奏活動をするようになりました。

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-これまではバスキングでソロ演奏をしてきましたが、ライブとバスキングは違いますか。

土門:ライブでは、特に日本の観客はじっくり聴くじゃないですか。海外でもホールなどでは静かに聴くかもしれませんが、もっと楽しもうという感じで、パブとかでは普通に会話してる人もいます。日本でソロギターのライブというと、観客はギターをやっている人が多く、研究のために演奏をじっくり見てる場合が多いです。

BGMみたいでいいのでライブをしてほしい言われてやった時も、観客はやっぱりシーンとして目の前で僕の指をジッと見るんです(笑)。僕はこれまでもそういうのが苦手だったので、ソロギターのライブをやってきませんでした。

今定期的に演奏している三鷹の「や乃家」は蕎麦屋兼和風ダイニングで、BGM的に演奏させてもらっています。ここにはソロギター目当てで来る人はまずいません(笑)。宴会をしたり、お蕎麦を食べに来る人がほとんどで、昔の名曲や映画音楽等をギターで生演奏しています。聴いている人はリッチな気分になれるし、こちらも選曲以外あまり気を使わない。こういうスタイルが好きですね。

じっくり目の前でソロギターが聴きたい、観たいという人も多いと思いますが、僕は苦手です。よくあのプレッシャーの中流暢に弾けるなと(笑)。

-ライブ的な活動以外では、去年10人のソロギタリストによるビートルズのカヴァーアルバム「While Solo Guitar Beatly Weeps」がリリースされ、土門さんがプロデュースしたと聞いてます。

While Solo Guitar Beatly Weeps (ホワイルソロギタービートリーウィープス)
益田洋(peacejoytown) 南澤大介(Daisuke Minamizawa) 浜田隆史(Takashi Hamada) yuta tanaka 城直樹(Naoki Jo) 谷本光(Hikaru Tanimoto) 土門秀明(Hideaki Domon) 告井延隆(Nobutaka Tsugei) AKI 垂石雅俊(Masatoshi Taruishi)
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土門:なりゆきですね。イベントなどで演奏をしていましたが、イベントを企画している会社の社長が、ロンドンに行く前に組んでいたバンドのヴォーカルなんです。会社はIT系ですが、音楽のこともやりたいということで手伝っていました。そんな時、僕は住まいを追い出されて(笑)、社長の実家が空いているからということでそこに住むことになりました。

で、たまたまアルバムを作ろうという話になったんです。

そうは言ってもアルバムを作ることは簡単ではありません。ソロギターで自分で録音してもらって、音源を送ってもらえばそんなに費用はかからないのではないかと提案しました。そこから内容を詰めていって、日本のソロギタリストによるビートルズのカヴァーになりました。参加していただいたソロギタリストはほとんど知り合いです。録音して送ってくれというのも失礼な話だし、知り合いでなければなかなか頼めません(笑)。

-選曲は演奏者が決めたのでしょうか。

土門:はい、選曲、アレンジは自由でした。

-アルバムリリースに伴った企画として、東中野の梅若能楽学院・能楽堂でライブを行いましたね。

土門:「While Solo Guitar Beatly Weeps」をリリースした「Solo Guitar Records」の社長が中野区で活動しているということなど、いくつかの要因がありました。生音がよい会場なので、PAを用いず、全員生音演奏になりました。照明もPAも入ってません。費用がかからなくてよかったですね(笑)。

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-今年も同じ会場で第二弾が開催されますね。

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ソロ・ギタリスト in 梅若能楽学院会館 フィンガーピッキング「出音一番勝負第二幕」
出演:AKI、垂石雅俊、告井延隆、土門秀明、益田洋、南澤大介 ゲスト帯名久仁子(琴)

9/3(土)14:00開場 14:30開演

土門:生音の演奏というのは大変です。出演者たちは皆ベテランですので問題ないですが、生音では実力が出なくなるギタリストもいます。

-通常あのくらいの広さでは鉄弦の生音というのは難しいでしょうね。

土門:そうですね。能楽堂は生音を増幅するようにはできてはいます。通常ならもっと狭いスペースでも難しいです。それでも生音というのは他のイベント、ライブとは違うので面白いというのもあります。

-現在の活動は「や乃家」での演奏が中心のようですが、ライブなどはされるのでしょうか。

土門:ライブを自分で企画することはないですね。ロンドンでの活動を講演としてお話しするトークライブみたいなのは時々あります。話をしながらギターも弾くといったことを企業や団体に出向いて行うんです。先日岐阜のIT関係のイベントで講演をしましたが、アルバム「Live in Tube」や「地下鉄のギタリスト」という本を、どうやってロンドンからネットを使用して、レコード会社や出版社と連絡を取り合い制作したかというお話をしました。皆さん面白がって聴いていただけましたよ。

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他に老人ホームや保育園、病院、個人宅にいって演奏することもあります。バーなどでBGM的に弾くこともありますね。ライブをメインにやりたいというギタリストも多いと思いますが、僕はそういうのはあまり好きではありません。

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-バスキングも人前での演奏ではありますが、ライブハウスなどの演奏とは随分違うようですね。

土門:ロンドンのバスキングでも見に来る人もいましたが、その人たちにじっと見られていると緊張しますね。おそらく性格なんでしょう。できればストレスなく演奏して収入が得られればいいですね。

-今後の予定は何かありますか。

土門:自然の中で演奏すると落ち着きます。滝の前だったり、川岸だったり… 先日禅寺の境内でお花見イベント的なライブがあったのですが、そこの庭園で鳥が鳴いたり水が流れたりする音も入ったり、自然音がBGMの素敵な演奏会になりました。

最上川観音様と土門さん

9月には水関連の曲として「The Water is Wide」、坂本龍一さんの「Aqua」の2曲を、山形県庄内地方にある「丸池様」という神秘的な場所で演奏してみたいと思っています。こういうのが楽しいですね。

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-活動そのものや考え方もかなり独特のようですね。

土門:ソロギターをやろうと思ってやった訳ではないからでしょうね。やらざるを得ないのでやってる、頼まれたからやってる、そんな状態です(笑)。

気楽にBGMとして演奏したり、自分の好きな所にいって好きな曲を弾くといった、呑気な生活がしたいですね、あ、既にやってるか?(笑)。ストレスなくギターの演奏だけで一生過ごせたら、僕としては人生大成功です。有名になりたいとか、大会場で演奏したり、コンサートツアーをしたりとか、そういったものとは無縁でいいと思っています。

-最後にギターファンにメッセージをお願いします。

土門:好きなようにすればいいと思います。好きな曲を聴いて好きな曲を弾いて、ライブをしたい人はチャレンジして、プレッシャーが苦手な人はそういうことはしなくてもいいんです。リラックスしてその人にあった聴き方、弾き方をしていけばいいと思います。周りから何か言われても、自分が一番心地よいやり方をすればいいのではないでしょうか。

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