えー、このブログの読者さんで、何故私がこれほどまでにギターに情熱的なのか、気になってる方がいるかもしれません。
英語も、通貨さえもわからず単身イギリスに渡って日々バスキングしたり、いきなり日記を書き始め「地下鉄のギタリスト」なる本を出版したり、ロンドン地下鉄ライブ録音による「Live in Tube」というCDをリリースしたり、最近では、定職も無いのに毎日狂ったようにヤフオクをチェックしている。尋常な人間とは思えませんよね。
しかし、これにはちゃんとした理由があるのです。
この件に関しては、メールマガジン「魂のバスキング」、「地下鉄ギタリスト Busking in London」、お悩み相談「バスカー土門の悩んだ時は、これを聴け!」、「地下鉄のギタリスト 激闘編」、そしてこのブログ「地下鉄のギタリスト 復活編」でも触れてませんでした。
個人的に親しい人や、ネタ的にちょろっと話した事はあるんですがね。文章にするのは初めてなんで、興味のある人は読んでやってください。全部真実ですから結構面白いかもしれません。
では、始めます。
子供の頃からなんですよ、ギター好きは…
小学生の頃から、誰に影響うけた訳でもないのに、興味を持ってました。これといったアーティストも知らなかったので、いきなりオリジナルとか作って弾き語りしてました。
その後、中学、高校と、いわゆるギター少年でバンドとか組んでいたんですが、今振り返っても、異常なほど練習してましたね。高校の時は、部活のインターハイとバンドのコンテストが被って、バレーボールの試合を途中で抜け出して、ちゃりんこでコンテストに駆けつけて優勝した事を覚えてます。それもバレーのユニフォームのままステージに登場です(笑)。
写真、土門氏高校2年生、酒田市民会館大ホールでのコンサート、指の位置から「レイニーウェイ by 矢沢永吉」のソロを弾いていると思われる。
その後は、上京し、ひょんな事から、バブルガムブラザーズのローディーに誘われ、のちにギターも弾く事になります。
バックバンドやめてからもギター熱は収まらず、100本以上収集し、2002年に渡英、2003年からは、ご存知のようにロンドンで、ほぼ100%ギター三昧の生活でした。
拙著「地下鉄のギタリスト Busking in London」を読まれた、ある大学教授からも言われたんです。「何故この人はここまでギターに執着してるんだ? この情熱の源は何なんだ?」って。まあ、この大学教授じゃなくても、実家の母などは、「身内に音楽家がいるわけでもないし、家族の誰もが楽器なんか弾けないのに、なんでこの子は、こんなにギター馬鹿なんだろう?」と、いつも嘆いていました(笑)。
さてここからが、その種明かしです。
私の父は、私が中学1年生の時に他界してるんですが、実は父は幼い頃、土門家に養子に来たのでした。その後母と結婚して私が生まれたわけで、実際に私が住んでいた土門家のおじいちゃん、おばあちゃんと私は、血がつながってない事になります。わかりますかね?
子供の頃、酒田の実家で私がおじいちゃん、おばあちゃんだと思ってた方々は、血縁上は他人だったというわけです。
で、3年前に、父の最後の法要があって、ついでに母が仏壇の中を何十年ぶり、というか、初めて整理したんだそうです。
その時に、引き出しの奥からある人物の写真を発見しました。
その写真は白黒、というかセピアに色あせた、かなり古い写真でした。写真の裏には、名前らしきものが書いてありましたが、過去に会った事がある人でもないし、誰なのかなあと見ていると、あることに気がつきました。面影が私の父に何処となく似ていたのです。
そして、母は親戚の人に問い合わせてみたりして、その人物が誰であるか突き止めました。
そう、その方は、私の死んだ父の事実上の父、つまり、私の本当のおじいちゃんだったのです。
その後、帰省した時にその写真を見せてもらいました。
撮られたのは、おそらく大正か昭和初期だと思います。その時代に正装というか、きちっとした背広姿でその方、私の実のおじいちゃんは写っておられました。
しっかりと「ギター」を携えて…
追伸
写真のおじいちゃんは、20代前半で亡くなったそうです。その為、子供であった私のお父さんは、養子に出されたようです。
母は、これでやっと私のギター馬鹿が納得できたと言っていました。おじいちゃんが十分弾けなかった分、現在、私が代わりに、いろんな国や、いろんな場所で弾かせてもらってるのかもしれません。
アルファベータブックス (2018-08-18)
売り上げランキング: 9,115
コメント
沁みます・・・ズンと来る話ですね。
「事実は小説よりも奇なり」ですね。