頭が真っ白になっても弾けるソロギター講座 第1回

頭が真っ白になっても弾けるソロギター講座

えー、「頭が真っ白になっても」と言っても、白髪のじじいになっても、という意味ではありません。極度のプレッシャーで緊張したり、あまり練習できてないので不安でしょうがない時などに、曲の途中でいきなりフレーズを忘れてしまい指が止まる、震えてしまって演奏どころではなくなる、または、パニックになり大声で叫んでうずくまってしまう、などの状態を言います。

ソロギターというものは、基本一人で演奏しますから、途中で止まってしまったらドッチラケてしまいます。また途中からヘロヘロになって地に足がついていないような演奏になる時もあります。そんな時どうしたらいいか?

実は私も子供の頃から「緊張しい」なのです。

中学生の時、学期末のお楽しみ会で、初めてギターの弾き語りをした時の、あのダメダメさは今でも忘れられません。手は緊張で冷たくなり、脇の下と背中からは嫌~な汗が吹き出し、目は焦点が定まらず、1曲演奏を終えるのが3年くらいの長さに感じ、それなのにいつのまにか演奏が終わっていて、呆然と立ち尽くしてました。ギター弾くのは大好きなのに、こんなんではこの先どうしたらいいんだと中学生ながら悩んだものです。

そんなんでも若い時の情熱というのは恐ろしいもので、その後アマチュアバンドを経て、プロのバンド「バブルガムブラザーズ」に入る事になります。この辺の話は、あんまりソロギターと関係ないんですが、今日は文筆の神が降臨したみたいで、スラスラと文章が出てくるので続行しまーす。

始まりは、上京してメンバー募集を見て参加したアマチュアバンドでした。なんてことない有りがちなロックバンドでしたが、たまたまボーカルの知り合いでライブの時だけ参加してくれていたホーンセクション(サックスとトランペット)の方々が、バブルガムブラザーズバンドのメンバーだったのです。そんなつてで、当時ビデオレンタル屋でバイトしていた僕は「今ローディー(楽器とかセッティングする仕事)募集してるんだけど、やってみない?」と誘われてスタッフとして入りました。

元々ギターやってたんで、弦の張り替えとかは得意でしたし、機材関係にも詳しかっったので、ギターとキーボード周りの機材セッティングを担当し、運転とか、食事の用意とか、ボウヤ的な仕事もこなしました。バンドのメンバーはかなり年上だったのもあって、皆さん部活の先輩のように、優しく、時に厳しく接してくれました。

そんなこんな1年もやってると、「門前の小僧習わぬ経を読む」じゃないですが、曲とかも覚えちゃうもんです。これと言って教えてもらったわけじゃないですけど、毎日(当時はバブル景気で毎日のようにイベントや営業の仕事がありました)見て聴いてるわけで、あらかた弾けてました。どうしてもわからないようなフレーズやテクニックなどは、リハの時に、ギタリストのギターアンプの後ろにラジカセを仕込んで、密かに録音し、後でそれを解析しました。

そしてある日、そのギタリストの方が、自分のバンドでデビューするという事で抜けることになりました。「それはチャンスですねっ!」と思った読者もいると思いますが、スタッフが、そのバンドのギタリストになるというのは、ある意味難しいんです。なにせ自分の仕事もありますから、そのことも考えなくてはなりません。それに他のスタッフもいますし、妬まれる可能性も無きにしも非ずです。なにより、裏方と表舞台に立つ人間には、なんか目に見えない壁のような物が存在している気がして、いつも遠慮というか、「自分には関係の無い事」と思い込んでいました。

ということで、マネジャーの知り合いで、当時「中森明菜」のバックバンドでギターをやってた方が参加することになりました。僕はローディーとして、その方の機材を積みに自宅まで行ったのですが、大人しそうな優しい方で、奥さんからも「主人を宜しくお願いします」なんてこと言われたのを覚えてます。

そして、その方を迎えての初めてのリハに入ります。

今でこそブラックミュージックは市民権を得てますが、当時はまだ認知度が低かったように思います。その方もロックやポップスには詳しかったようですが、ファンクとかヒップホップ、R&Bには疎いようでした。出てくるフレーズもローディーの私が言うのもなんですが、ノリが弱いとうか、ファンキーじゃないという感じがしました。

とりあえずリハは終わり、僕が機材の後片付けをしていると、奥でブラザーコーンさんがバンドメンバーやマネジャー達と話しています。「あの新しいギターの人どうしようか?」的な話をしているようでした。そこで僕は一世一代の大勝負に出たのです!

今でも、どこにそんな勇気があったのかと自分でも不思議に思います。

機材のバラしの手を止めると、つかつかとブラザーコーンさん達の方に歩いて行きました。そしてこう言ったんです。

「僕にやらせてください!」

その時、皆さん「えっ」というような顔をしたのを今でも覚えてます。しかし状況がつかめると、僕が普段ステージ横や、リハーサル室の隅でギターの練習をしているのを知ってるし、曲もあらかた弾けるのも知っているわけで「いやまてよ、そういう手もあるかも」という雰囲気になりました。そしてブラザーコーンさんが口を開きました。

「そうか、よしわかった。明日のリハで弾いてみろ」

翌日、信濃町にあったソニースタジオでオーディションになりました。当時は、アンプやエフェクターも持ってなかったので、抜ける予定のギタリストに借りた機材でのオーディションでした。曲は既に全部覚えていたので、正直、楽勝とはいかないまでの、自分なりには満足の行く演奏ができたと思った記憶があります。

そして結果発表です。

ブラザーコーンさんが言いました。「んーまあまあだけど、新しく入った奴よりはマシみたいだから明日からギターやれ、そのかわり当分の間ローディーもやってくれ」

「や・り・ま・し・た・よ、やりましたーっ!」心の中でガッツポーズです。

今から思えば、拙い演奏だったと思います。おそらくブラザーコーンさんやバンドの方々も、日頃僕が一心不乱に練習しているのを目にしていたので、そこまで言うんだったらやらせてやろうじゃないの、という事だったんだと思います。親心からチャンスを与えてくれたに違いありません。

かくして、その翌日から競技場やドームクラスのステージ、テレビの生演奏などをこなしていくことになります。
東京ドーム4
しかし喜びもつかの間、ここから本当の試練が始まるのでした。続く…

おっと「頭が真っ白になっても弾けるソロギター講座」のはずが、激闘編になってしまいました(汗)。ま、堅いことは言いっこナスで。次回からは寄り道せずに講座を進めていきたいと思いますので、よろちくびでお願いします。( ̄_ ̄;)スマンスマン

そんなわたしに…
Won’t Be Long by The Bubble Gum Brothers

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