拙著「地下鉄のギタリスト Busking in London(水曜社)」より
★10月3日(月曜日)晴
エンジェル駅 16時〜18時
BGM「What A Wonderful World」
『What A Wonderful World』を弾いていると、エスカレーターで降りてきた黒人のおじいさんが目に入った。
手には白い杖を持っていてサングラスをかけているので、盲目なのだろうということは想像できる。年齢のせいもあるのか、足もともかなりおぼつかない。おじいさんは数秒立ち止まって曲を聴いていたが、ふと僕のいるピッチと反対側の壁に向かって歩きだした。そして壁に手を這わせ、ゆっくりと横歩きをはじめた。
角にたどり着くころには周りの人たちもおじいさんのおかしな行動に気づきはじめた。「どうしました?」「なにかお手伝いしましょうか?」と声をかける。しかし、おじいさんはなにも反応せず、ただ黙々と壁づたいに横歩きを続ける。
イギリス人は、体の不自由な人や老人に対してとても親切である。周りの人たちは手を貸したいのだが、おじいさんがなにをしたいのかがわからない。動きが非常にゆっくりで、どう対処したらいいかもわからず、心配そうにオロオロとするばかりだった。
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しかし、僕にはおじいさんが何をしたいのかわかっていた。
おじいさんは、僕のギターケースにお金を入れようとしているのだ。まっすぐ歩いてこないのは、目の見えない自分が直進していって、僕や楽器に杖がぶつかってしまってはいけないと気づかってのこと。遠回りをして、横から近づこうとしているのである。
本来であればギターの演奏を一時中断して、こちらから近づくべきなのだろう。でもおじいさんは「演奏を止めるなよ。今こっちから行くから、そのまま続けてくれ」と背中で訴えている気がして、金縛りにあったようにバスキングピッチから動くことができなかった。
僕はおじいさんの背中をジッと見つめながら、渾身の力を込めてギターを弾き続けた。
まわりにいる人たちも、おじいさんが僕のほうに向かっていることに気づきはじめた。そして2〜3人の親切な人たちと心配そうに見つめる駅員に見守られ、僕の前にたどり着いた。
財布を出そうとしているのだが、体が不自由なためになかなかポケットから取り出せない。見かねた駅員が手を貸した。今度は財布のチャックを開けようとしているが時間が掛かりそうだったため、結局駅員がおじいさんになにかつぶやき、財布から1ポンド硬貨を出した。
ギターケースにその硬貨が落とされると、おじいさんがはじめて口を開いた。
しわがれた小さい声だったが、はっきりと聞こえた。
「Excellent」
とうとう僕の目から、涙があふれた…
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Sequel
イギリスは福祉政策が充実しているほうだと思う。国営の医療システムも、いろいろ条件はあるだろうが無料で手術までしてくれるとか。ちなみに、僕は13年間で一度も医者の世話になったことがない。粗食とノンストレスが一番の健康療法だと実感している。
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